撮影日記 |
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2024年07月05日(土) 天気:晴佐和式露出計算尺と実用新案関式サロン露出計は,少なくとも10種類のモデルに分類することができる(2022年12月31日の日記を参照)。それぞれのモデルを特徴づける要素として,特許や実用新案が影響していることがうかがえる(2022年2月24日の日記を参照)。 佐和式露出計算尺は,「初期型」「新型」「最新型」の3つのモデルに分類できそうである(2024年6月30日の日記を参照)。これらに関連する特許や実用新案は,どうなっているだろうか。 そこで,これらの番号に頼らずに,検索項目FIが「G03B7/00」の文書について1つずつ内容を確認することにした。初期型および新型の佐和式露出計算尺に関係しそうな期間として,1930年から1945年の範囲を設定すれば,対象になる文書は76件まで絞り込まれる。古いほうから順番に見ていくと,まず,「実公昭08-003172(昭和八年実用新案出願公告第三一七二号) 写真露出計算尺」というものが見つかった(*1)。考案者が「宮崎治助」氏で,出願人が「合資会社逸見製作所」であり,付属の図面を見ても,これが佐和式露出計算尺のもとになる実用新案であると思われる。また,出願は1932(昭和7)年9月6日で,公告が1933(昭和8)年3月9日であるから,佐和式露出計算尺の発売にはぎりぎり間に合ったと考えられる。しかし,出願時の番号も「23013」であり,ここには「180310」や「196802」につながる番号が見あたらない。同じ時期に,考案者が「逸見治郎」氏で出願人が「合資会社逸見製作所」の「実公昭08-0106822(昭和八年実用新案出願公告第一〇六八二号) 写真鮮鋭範囲計算尺」(*2)というものあるが,この要素は佐和式露出計算尺に取り入れられてはいないようなので,たぶんこれは関係ない。なお,ここにも「180310」や「196802」につながる番号は見あたらない。 佐和式露出計算尺の発売元は,アルスである。そのアルスが発行する雑誌「カメラ」には,ほぼ毎月のようにその広告が掲載されている。それを順に眺めてみるが,特許や実用新案に関する記載はない。ただ,そこに掲載されている製品写真には,少し変化がある。「カメラ」1935年8月号に掲載された広告(*3)は,手元にあるものと同じく「180310」と「196802」という2つのPATENT NOが記載されているが,1935年1月号以前に掲載された広告(*4)では,「180310」しか記載されていない。 佐和式露出計算尺が発売されたときの,「カメラ」1933年3月号には,「佐和式露出計算尺に就て」(*5)という,佐和九郎氏自身による解説記事が掲載されている。そこではまず,当時の露出計事情と問題点が概説され,佐和九郎氏が整理した加算式露出表がその問題を解決できるという旨の自賛的な内容がある。そして,逸見製作所の計算尺開発者である宮崎治助氏が,その露出表をもとにつくった試作品がとてもよかったので,アルスと逸見製作所とで検討し,「なるべく安い値段にて売れるような構造」にして発売にいたったということが語られている。「小さな計算尺に巧に盛り込んだ独創的技術は嘆賞に値する」「この栄誉は逸見製作所の宮崎治助氏と松本義郎氏との占有すべきもの」と評価しているが,そこには「特許」や「実用新案」(あるいは「新案特許」)などの表現は見あたらない。ところで,そこに掲載された製品の画像には,PATENT NOの表記がない。そのかわりに,「実用新案願第23013号」という表記がある。これは「実公昭08-003172(昭和八年実用新案出願公告第三一七二号) 写真露出計算尺」の出願番号である。このあとの製品には「PATENT NO 180310」が表記されているので,これらは同じものをさすと思われる。佐和式露出計算尺には「PATENT NO」の表記がなく「実用新案願」のバージョンも存在するのかもしれないが,それは試作品的なものあるいは発売のごく初期だけのものであり,現物を目にすることは困難であろう。 それにしても「180310」という番号がどこから来たのかは,わからない。 この当時の「実用新案法」は,1921(大正10年)に改正されたものである(*6)。その第10条に「実用新案権ノ存続期間ハ登録ノ日ヨリ十年ヲ以テ終了ス」とある。これにしたがえば,「実公昭08-003172(昭和八年実用新案出願公告第三一七二号) 写真露出計算尺」は1943(昭和18)年に権利が切れたことになる。入手した新型・佐和式露出計算尺(1940年にモデルチェンジされた新型が発売された)でのPATENT NOの表記を確認すると,「PATENT NO 196802」「其他特許三件出願中」となっており,「180310」の表記は消えている。 「180310」が消えているバージョンのものは権利が切れた1943年以降に発売されたものと考えることもできるが,早晩,権利が切れることを見越して,1940年の発売時には表記をやめていた可能性もある。発売直後の「カメラ」1940年5月号に掲載された広告(*7)の製品画像は不鮮明であるが,この部分の表記が2行あるように見えるので,表記がこのときから変わっていないようにも思えるからである。また,出願中の特許をアピールしたいという狙いもあるだろう。 結局,「196820」という番号がどこから来たのかは,わからない。
*1 昭和八年実用新案出願公告第三一七二号 写真露出計算尺
*2 昭和八年実用新案出願公告第一〇六八二号 写真鮮鋭範囲計算尺
*3 「カメラ」1935(昭和10)年1月号(アルス) (国立国会図書館デジタルコレクション)
*4 「カメラ」1935(昭和10)年8月号(アルス) (国立国会図書館デジタルコレクション)
*5 「カメラ」1933(昭和8)年3月号(アルス) (国立国会図書館デジタルコレクション)
*6 実用新案法改正・御署名原本・大正十年・法律第九十七号
*7 「カメラ」1940(昭和15)年5月号(アルス) (国立国会図書館デジタルコレクション)
*8 昭和十六年実用新案出願公告第一五九号 赤外写真露出計算器
*9 昭和十六年実用新案出願公告第一六〇号 修正目盛附赤外写真露出計算器
*10 昭和十六年実用新案出願公告第八九〇号 露出計算器
*11 昭和十六年実用新案出願公告第八九一号 人工光撮影用露出計算器 |
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