撮影日記


2024年04月22日(月) 天気:曇

「さいごの木製カメラ職人」の雑誌記事

インターネットオークションや中古カメラ店などで,いろいろな組立暗箱を見かけることがある。立派な銘板がついているものもあれば,無銘のものもある。外国の有名なブランドの製品であれば,当時は高価なものだっただろうからたいせつに扱われて後世に残り,コレクターなどによって調べられ書籍などで紹介されるようなものもある。しかし,それを模倣したような銘板もない無銘のものは,いつごろ,どこでつくられて流通した製品なのか,知る手がかりがない。
 組立暗箱はおもに業務用途で用いられていたようであるため,一般向けの書籍や雑誌で取り上げられた形跡がほとんどみあたらない。そのため,銘板がついていても,その素性がよくわからないものもある。そのような組立暗箱の1つに,「OKUHARA CAMERA」という銘板のついた組立暗箱がある。ここ数年,「OKUHARA CAMERA」の製造元と考えられる,大阪にあった「奥原写真機製作所」のことを少しずつ調べている。これまでにわかっていることは,次のような点である。
●活動時期 1955(昭和30)年ごろ〜1977(昭和52)年ごろ(電話帳および住宅地図で存在が確認できた期間)
●所在地  大阪市住吉区我孫子東(現在は苅田9丁目)
●代表者  奥原 定一(生没年等不明)
●規模   従業員数10〜29名(全国工場通覧 昭和43年版による)(*1)

1990年代になれば,アマチュアでも国産の組立暗箱をよく使うようになったようで,近年まで活動していたブランドの製品であれば,雑誌に広告が載っていたりしてある程度は存在や名前が知られるようになっている。
 最近,雑誌「サライ」の2020年9月号に,長岡啓一郎氏へのインタビュー記事があることを教えていただいた(*2)。長岡啓一郎氏は,「ナガオカ」ブランドの大判木製カメラを製造してきた「長岡製作所」を創業した人で,件の記事では「木製大判カメラをつくる最後のカメラ職人」という表現で紹介されている。なお,長岡製作所は,長岡啓一郎氏の死去にともない2020年に廃業になったらしい。それはこの雑誌に掲載されているインタビューを受けたのちの,あまり月日がたたないうちのことのようで,まさに最後の証言とみなすことができるようである。
 この記事では,これまであまり見えてこなかった,木製の組立暗箱をつくる業者の実態を,ほんのわずかであるが垣間見ることができる。
 まず,注目したい発言として「東京と大阪に7〜8軒あった同業者も次々とやめていった」というものがある。同業者がつぎつぎにやめていったその時期については明言されていないが,話の流れからは「(1962(昭和37)年に)独立してから,10年くらいはよかった」と語っている時期よりも後のことで,1973(昭和48)年にフォトキナへの参加を誘われたと語っているころまでのことと思われる。そうするとおおむね,1970年代なかば(昭和40年代末)のことだと考えられる。これは,昨年まで動向をさぐってみてきた「奥原写真機製作所」が活動を終えたと思われる時期(1977(昭和52)年までには工場らしき建物がなくなっている,2022年9月24日の日記を参照)と整合するとしてもよいだろう。長岡氏は奥原写真機製作所の存在を知っており,長岡氏が語る「同業者」の1つに含まれていたのだろうか。

ほかに注目したい発言として,「金具など60近い部品をつくってくれる取引先が、昔は10社ほどあった。」というものがある。「日本カメラの歴史(歴史編)」(*3)では,暗箱は古くからの指物師の技術で生産できると表現されている。実際には,木材だけではなく,固定のための金具,ネジ,蝶番,ベースボードを繰り出すためのギアなど,さまざまな金属部品も使われている。

そのほかに,蛇腹や取っ手に使うような皮革,ピントグラスのようなガラスも使われる。多くの部品メーカーによってささえられていることがうかがえるが,それらの名前を知る術は,すでに失われているだろう。また,工場が比較的盛んだった時期でも,在籍していた職人さんは12〜13人だったことも語られている。高齢化等で少しずついなくなり,やがて身内だけで,さいごは一人で製造に携わっていたということらしい。

「奥原写真機製作所」の末期は,どういう状況だったのだろうか。それについて,どこかの雑誌で語られていたりしないのだろうか。このような記事がどこかにあってもよさそうなものだと気になるのだが,いまのところ関係しそうなものに出会っていない。

*1 「全国工場通覧 昭和43年版」(通商産業省大臣官房調査統計部 編,日刊工業新聞社,1967年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/8312450/1/488

*2 【インタビュー】長岡啓一郎(木製カメラ職人・82歳)木製大判カメラをつくる最後のカメラ職人「世界に必要としてくれる人がいるなら、これからも細々とでもつくり続けます」 (小学館,サライ.jp)
https://serai.jp/hobby/1002833

*3 「日本カメラの歴史 歴史編」(日本写真機光学機器検査協会歴史的カメラ審査委員会 編,毎日新聞社,1975年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12430458/1/15


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