撮影日記 |
---|
2021年08月09日(月) 天気:雨のち曇理研のハイル1941年に発売された「ハイル」という日本製のカメラを入手した。残念ながら,いくつかの主要なネジや部品が失われたジャンクな状態である。ただ,貼り革に刻まれている「HeiL」という文字は,はっきりと読み取れる。 いわゆるスプリングカメラとしては,かなりコンパクトなものである。そのため,127フィルムを使ういわゆるベスト判カメラのように思えるが,実際は120フィルムを使うセミ判カメラである。そのため,このカメラの名称は,実際には「セミ・ハイル」として扱われているようである。 そもそも,カメラの主要な部品のうちレンズやシャッターは,それぞれ専業のメーカーから調達されることは多い。そのため,シャッター部品などに他社の名称がついていることは,珍しくない。ただ,この「セミ・ハイル」については「RIKEN」という名称を直接にあらわす文字が見あたらない。レンズの銘はUKAS Anastigmatで,シャッターにはHEILという名称が与えられているようである。また,レンズの横には丸囲みのなかに「AKK」という文字を図案化したマークがつけられている。 「AOCo」のマークは大正時代から使われていた(これは第二次世界大戦後に発売のAsahiflex Ia型のもの)。理研光学が発売したさいしょのカメラは,1937年の「セミ・オリムピック」とされている(社名が,理研感光紙だった時代)。オリムピックというカメラのシリーズは,それ以前から展開されており,そのさいしょの機種は1934年の「オリムピックA型」とされている。これを製造していたのは株式会社オリンピックカメラで,発売していたのは旭物産合資会社とのことである。1937年にこれらの会社を買収し理研の傘下に入れるにあたって,旭光学工業株式会社を設立し,1938年3月に理研光学工業株式会社に社名をあらためている。ごく短期間であるが,旭光学工業合資会社と旭光学工業株式会社という,非常に似通った社名の同業の会社が存在していたことになる。現在,PENTAXというブランドは,リコーの傘下にある。いずれはそうなるようになっていた,ということだろうか。ただ,旭光学工業株式会社という名称は使わなくなっても,それに由来する「AKK」のマークは使い続けていたということである。なお,旭光学工業株式会社になる以前の,旭物産合資会社が発売していた時代のオリムピックカメラには,丸囲みのなかに「AB」という文字を図案化した,よく似たマークがつけられている。この「AB」は,旭物産合資会社を意味している。 さて,このカメラの「ハイル」という名称であるが,おそらくはドイツ語の「Heil」すなわち「万歳」のような意味であろう。これ以前に発売された理研光学のカメラには「アドラー」というものがあり,当時のドイツ国家元首を連想しそうである。当時の理研光学が発売したカメラには,「ビクター」(VICTOR=勝利者),「ガイカ」(GAIKA=凱歌),「キンシ」(Kinsi=金鵄),「チューコンレフ」(Chukon Ref.=忠魂,Ref.はレフレックススタイルのカメラをあらわす)というものがある。さらに,「ゴコク」(GOKOKU)というカメラもあり,これは「五穀」ではなく「護国」の意味だろう。そういう時代だった,ということか。
*1 リコーのあゆみ(株式会社リコー)
*2 PENTAX HISTORY(株式会社リコー) |
← 前のページ | もくじ | 次のページ → |