撮影日記


2013年07月07日(日) 天気:晴

街の姿はかわっても 吉原の名は歴史に残る

昨日の日記で,今回の宿泊場所は千束である,ということを書いた。このうち,千束4丁目は,かつて「(新)吉原」と呼ばれた地域に該当する。当時の趣はほとんど残っていないようだが,いまでも風俗店が集中している箇所があるようだ。
 吉原と呼ばれていた地域の現在の地名はすべて「千束(3または4)丁目」になっているが,街路などには往時の地名が記されていたりする。吉原は,その周囲を塀や掘などで囲われていたとのこと。その通常の入り口には大門があり,「吉原大門(よしわらおおもん)」という交差点にその名前が残っている。昨日,入谷の交差点から見えたのと同様に,この交差点からも東京スカイツリーの姿を見ることが可能である。

携帯電話機(P-01D)で撮影
BEAUTYFLEX III, Doimar 8.0cm F3.5, NEOPAN 100 ACROS

交差点の脇には,「見返り柳」と呼ばれる柳の木がある。そこには石碑があり,かつて遊郭で遊んだ者が帰りがけに,名残惜しげに振り返ったからとの説明が添えられている。その説明は台東区教育委員会によって設置されたものであるが,遊郭というどちらかというと「教育的ではない」とされる施設の説明が,教育委員会によってなされているというのも,おもしろいものだ。その地域の歴史を重んじる姿勢を示している,ということができるだろうか。

携帯電話機(P-01D)で撮影

吉原大門交差点の先は,微妙にカーブした下り坂になっている。これを下りきったところに,吉原への入り口となる大門があったとのこと。そしてその先が,かつて遊郭があったところとなる。この道がカーブしているのは,遊郭への出入りが見通せないように配慮されたものとのことである。

携帯電話機(P-01D)で撮影
BEAUTYFLEX III, Doimar 8.0cm F3.5, NEOPAN 100 ACROS

吉原大門があったところの先は,現在でも風俗店が集中する範囲となっている。吉原は遊郭街としてあたらしくつくられた場所だからか,その範囲内はきちんと碁盤目状に区画整理されている。その中央の道を進むと,やがて道がほぼ直角にカーブする。そのあたりまでが,かつての吉原の範囲だったようだ。

携帯電話機(P-01D)で撮影

そしてその手前には,吉原神社という小さな神社がある。その境内には,かつての吉原の変遷をまとめた地図が掲示されている。そのほか,吉原に関する説明も掲載されており,興味深く読むことができる。この地区は,鉄道の利用がやや不便な場所であるが,機会あればいちど訪れてみるのもおもしろいのではないだろうか。もちろん,風俗店を利用するためではなく,語られている街の歴史を見るためにということでおすすめしたい。風俗店のご利用は,自己責任で(^^;

携帯電話機(P-01D)で撮影

← 前のページ もくじ 次のページ →