撮影日記


2024年02月09日(金) 天気:曇

ワルツの露出計の意外な名称

写真を撮るときに使う道具の1つに,露出計がある。現代のカメラでは,ほぼすべてのカメラに露出計が内蔵されている。なお,カメラが自動露出になっているということは,露出計が内蔵されているということである。単体の露出計を見たことがない,まして所有していない,という人であっても,必ず露出計のお世話にはなっているはずなのである。
 まだカメラに露出計が内蔵されていなかったころには,単体の露出計としてさまざまな製品が発売されていた。計算盤(計算尺)式の「関式サロン露出計」(2022年12月31日の日記を参照)や「佐和式露出計算尺」(2022年2月6日の日記を参照)などのような,季節や時刻,天気や被写体などの条件をあわせることで露出の基準を知ることができるものが主流だった時期もある。これらは安価で軽量であり,かなり細かい条件を設定できるようになっている。扱いやすいような工夫もされているが,天気や被写体の判断に慣れなど使う人の個人差が出てくるもので,どうしても主観というものが大きく影響してくる。
 それに対して1930年代から発売されるようになった電気露出計(2023年8月16日の日記を参照)は,明るさの差を電気信号の差として扱い,メーターの指針を振らせるようになっているため,客観的な値として露出の基準を得ることができる。しかし,計算盤式の露出計にくらべると,かなり高価な製品であった。また,ウエストンのような,アメリカなど外国の製品が有名であり,主流であったといえる。

1950年代になると電気露出計の製造や販売が,日本でも盛んになってくる。このころまでの電気露出計は,セレン光電池という素子を使っている。これは,光があたるとその強さに応じた電力を発生する素子で,その電力を使ってメーターの指針を振らせるようになっている。その振れ具合によって,客観的な明るさを知ることができる。そのころ露出計を発売していたブランドの1つに,ワルツがあった。

この露出計は,この時期の製品だとは思うものの,具体的な発売時期がわかっていなかった。それを確認するために古い雑誌の広告などを眺めてみるが,ワルツはさまざまな小物の写真用品を扱っており,その広告からは露出計の外見や名称などを確認することが難しい。そこで雑誌だけでなく,いろいろな書籍を閲覧していくことにした。
 そうしたところ,「露出の決め方」(鈴木八郎,双芸社,1951年12月発行)(*1)に同型の露出計が掲載されており,「ワルツ・スーパー電気露出計」という意外な名称で紹介されているのを見つけることができた。この露出計は裏面に「Model EU」と書かれているため,この露出計は「ワルツE2露出計」という名称で発売されていたのだろうと考えていたのだが,そうではなかった。ともかく,「2」がついているからには,ワルツ露出計として少なくとも1回はモデルチェンジを経ているはずである。そして,モデルチェンジにともなって「スーパー」という名称をつけるだけの,なにか特徴がある自信作なのだろう。よく見れば,露出計の目盛の部分に小さく「SUPER EXPOSURE METER」と書いてある。もっと「スーパー」を強くアピールしてもよさそうなものだが,そこは控えめである。

ともかく,この露出計は1951年12月発行の書籍がつくられた時期には,すでに発売されていたということになる。さらに発売時期を絞り込むために,より発行時期の古い書籍を眺めてみた。すると,「初歩のカメラハンドブック」(吉川速男,山海堂,1951年5月発行)(*2)に,外見の異なる「ワルツ露出計」が描かれているのを見つけることができた。したがって,「ワルツ・スーパー電気露出計」はこのあいだにあたる時期,おそらく1951年の夏ごろまでに発売されたと考えてよさそうである。そうすると,「初歩のカメラハンドブック」に掲載されていた「ワルツ露出計」が「Model EU」の前の,「Model ET」だったのかもしれないが,それは確認できていない。

ところで,第二次世界大戦後,さいしょに電気露出計を発売したのはセコニックらしい。「アルス写真年鑑1951年版」(アルス,1951年)に「1950年 国産カメラの動向」(愛宕通英)という記事があり,そのなかで
 
「…1950年に特筆すべきことは,戦後,始めて電気露出計が,しかも三種類も市場に送られたことである。成光電機のセコニックが一番早く出現…」
 
と説明されている(*3)。
 セコニックの露出計の広告は,「アサヒカメラ」戦後の復刊第1号(1949年10月号)にも掲載が見られる(2018年4月20日の日記を参照)が,「アルス写真年鑑1951年版」の記事をふまえると,実際に発売されたのは1950年にはいってからのことということになる。「アサヒカメラ」1949年10月号の広告には製品の写真はなく,製品名として「L-1」と「L-4」,それにくわえて露出計を持つ人物を描いたイラストが描かれているのみである。その後,「アサヒカメラ」1950年8月号の広告では,製品の写真も掲載されるようになっている。それは,SEKONIC L-1であった。

戦後にはじめて発売された,日本製の電気露出計は,このSEKONIC L-1を示していると考えてよいだろう。「アサヒカメラ」1950年8月号に広告が載っているのだから,具体的な時期としては1950年の夏ごろまでに発売されたものと思われるが,このことは「ゼロから大量生産に 世界のセコニック電気露出計」(小川昌巳,2018年)という自費出版本でSEKONIC L-1の生産に成功したと語られている時期と整合している。

「アルスカメラ年鑑1951年版」によると,セコニックにつづいて日本で電気露出計を発売したのは,ワルツと三栄産業ということになっている。具体的には
 
「…(1950年の)…暮になってから日本商会からワルツ露出計が,三栄産業からサモカU型というのが発表…」
 
とある。ここまでのことを整理すると,次のようになると考えられる。

1950年夏セコニック L-1 発売
1950年暮ワルツ露出計 発売
1951年夏ワルツ・スーパー電気露出計 発売

このころの露出計は,カメラやレンズのように広告で詳細に紹介されることは少なかったようである。まだ,そんなに安価ではなかったと思われるが,それでもカメラやレンズにくらべれば安価だろうし,カメラやレンズほど華やかな存在ではなかったのだろう。ともあれ,発売時期や名称などの確認には,ひと手間が必要になるようである。
 戦後すぐの日本製電気露出計として,セコニック,ワルツ,サモカという3つのブランドが存在していた。このうち現在でも露出計を発売しているのはセコニックだけである。セコニックの製品については,公式のWebサイトである程度はたどれるが,ほかの2つについてはそうはいかない。

*1 「露出の決め方」(鈴木八郎,双芸社,1951年) (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2459837/1/50

*2 「初歩のカメラハンドブック」(吉川速男,山海堂,1951年) (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2458264/1/69

*1 「アルス写真年鑑1951年版」(アルス,1951年) (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2472055/1/68


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