撮影日記


2017年01月26日(木) 天気:晴

110判の日 リベンジ

今年の「110判の日」には,「110Fukkatsu」というフィルムを使った。だが,現像時間等を誤ったようで,スキャンしてもなにがよく写っているかわからないような結果となった(2017年1月10日の日記を参照)。このまま引き下がるの楽しくないので,あらためて110判での撮影を楽しんでみたい。明日の「127フィルムの日」のために,120フィルムを切って127フィルムを作成すれば,その副産物として110カートリッジに入れるフィルムができる(2010年2月19日の日記を参照)。

マミヤプレス用ロールフィルムホルダにカッターナイフの刃をセットして,もっと簡単にフィルムをカットできるようにしたので,127フィルムおよび110カートリッジフィルムを以前よりも作成しやすくなった。

フィルムで撮影する人は,以前はよく見かけたものだが,最近はあまり見かけなくなった。「写ルンです」すら,もう見かけることは珍しく感じる。同じように,以前はよく見かけたものの急激にその数を減らしているものに,公衆電話ボックスというものがある。もっとも,公衆電話ボックスを減らす作業は一段落したのだろうか,残ったものはかわらず,そこにあるようだ。
 ただ,だれかがその中で電話をかけているのを見かけることは,ほんとうに少なくなった。

PENTAX auto110, PENTAX-110 18mm F2.8, ACROS

公衆電話ボックスを使うことは少なくなっても,そこはいつもいろいろな人が通る道である。公衆電話ボックスには,いつでもそこにある安心感,線でつながっている安心感があるのではないだろうか。
 この点は,電気信号のデータだけではなく,「もの」に固定された画像が残るフィルムでの撮影における安心感と,似たようなものかもしれない。

PENTAX auto110, PENTAX-110 50mm F2.8, ACROS

逆光気味の光線のもとでは,人の輪郭が光で縁どられる。PENTAX auto110のレンズは,こういう場面でも無難に写しとってくれる。見返してみれば,これはフォーマットの大きなカメラで撮っておきい瞬間だった。だが,PENTAX auto110という小さなカメラだからこそ,つかまえることができた瞬間である。

PENTAX auto110, PENTAX-110 50mm F2.8, ACROS

歩道からそれて川の表面を見れば,そこは光に満ちあふれている。

PENTAX auto110, PENTAX-110 50mm F2.8, ACROS

これはあえて,天地を逆にしている。こういう細かい被写体は,PENTAX auto110向きではないな。

ともあれ,今日はよく晴れており,PENTAX auto110での撮影をじゅうぶんに楽しむことができた。先日のリベンジができたようなものである。
 ACROSの120が入手できるかぎり,110カートリッジフィルムをつくって,手軽に現像することができる。フィルムが入手できる限り,小さな一眼レフカメラPENTAX auto110は,まだまだ楽しめるのだ。


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