2013年02月24日(日) 天気:晴
ユニバーサルデザインの時代 あたらしい「超」低床車1000形
広島市内には,路面電車が運転されている。一時期は「時代遅れな交通機関」として,全国各地から路面電車の姿が消えていっていたが,最近ではその存在が見直され,車両や設備の改良もすすんでいる。路面電車の評価が低かった時代は,自動車の台数が増加していた時期である。交通渋滞がひんぱんに起こり,「路面電車は邪魔だ」とみなされていた。そのため路面電車の運行は自動車に遮られ,「いつ来るのかわからない」状況となり,利用者も減少していった。
交通信号や交通渋滞等があるために「いつ来るかわからない」と思われがちな路面電車にも,ちゃんと「ダイヤ」というものがあって,電車の運行時刻が決まっている。とはいえ,わりと高頻度で電車がくる上に,途中停留所にきちんと通過予定時刻が掲示されていたともかぎらない。それを補うかのように,広島電鉄の停留所には,電車の接近を予告する表示装置が1980年代に整備された。それは中央のコンピュータで制御されており,架線の横に設けられたスイッチを電車のパンタグラフがはじくことで,どの系統の電車が近づいているかを示すようになっていた。
その電車接近表示装置も,市内中心部付近から徐々にあたらしいものに置きかえられている。最近のものは,接近している電車の行き先だけでなく,あとどれくらいの時間がかかるかなど,さらに詳しい情報が表示されるようになっている。
さて,ここに「低床」という表示がある。これは,次に来る電車が「超低床車」であることを意味している。路面電車は,文字通り,道路に敷かれたレールの上を走る電車である。電車に乗るためのホームは,ごく低いものであり,路面電車に乗りこむには,ステップをあがらなければならなかった。超低床車の床はごく低い路面電車のホームとほぼ同じ高さにあり,出入り口にステップがない。そのため,高齢者や小さな子どもにも乗り降りしやすく,ベビーカーや車いすなども,そのまま乗りこむことが可能である。電車接近表示装置の「低床」の横には車いすのマークもあり,これがバリアフリー化された車両であることも示しているのである。また,超低床車は車いすだけではなく,「誰にとっても乗り降りしやすい」コンセプトの車両であることから,単なるバリアフリーではなく,ユニバーサルデザインの例として取りあげられることもある。
ところで,電車接近表示装置には「低床」とだけ表示されているが,それが示す車両は「超低床車」であり,「超」がついている。ということは,「超」のつかない「低床」車もあるわけで,それは現在の通常の路面電車の車両が該当する。ということはそれ以前には「低床」ではない「高床」車もあったわけで,通常の鉄道車両が「高床」車の例であり,路面電車の車両にもかつてはステップが2段以上あるような「高床」車も存在した。路面電車の「高床」車は,のちに「低床」車に改造されたものもある。一方,東京都電(荒川線)では,道路上を走る区間がごく少ないことから,すべての停留所のホームを高くすることで,電車のステップを不要にしてきた。東京都電の車両は,路面電車であるが「高床」車となる。
一般的に路面電車は,比較的近距離で通勤や通学の時間帯にはかなり混雑することもある。そのため座席は窓を背にして座る長椅子になっているものが多い。ところが超低床車では,運転台の後ろあたりの座席が向かい合って座るような座席になっている。これは床を低くするために,車輪やモーターなどの機器が車内に飛び出すように配置されていることにも理由があり,あわせてそのあたりの通路が狭くなっている。そのため「誰にとっても乗り降りしやすい」と言うには,もう少しのくふうが必要と思うのだが,それでも従来の車両にくらべれば,大きな進化であることは間違いない。
広島電鉄では,5つの車体がつながったタイプの超低床車が使用されているが,この車両の全長は約30mになる。こういう利用しやすいあたらしい車両は,できるだけ多くの路線で利用できるようになることが望ましいわけだが,それだけの十分な長さの停留所がない路線もある。そういう路線でも使えるように,最近になってあらたに,全長18mほどのやや小型の超低床車が導入された(2013年1月28日の日記も参照)。これは,7系統(横川−広電本社前)および8系統(横川−江波)で使用される。また,日中にはごくわずかだが,江波−白島でも使用される。まだ2編成しか導入されていないので,これに乗れる機会も多くはないと思うものの,こんな電車を見れば,路面電車はとりあえずこういう方向に進化していくのだなあと感じられることだろう。
そうなると,従来の「古い電車」は少しずつ引退していくことになるわけで,それは個人的には少しさびしいことである。私は「鉄」ではなく,「古い機械が実際に使われている」のを見ることが好きなのである。
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