2016年06月28日(火) 天気:曇
Canon EOS5の出番がやってきた! マミヤセコールはEOSを救う?
「プロ用一眼レフカメラ」といえば,まずは,ニコンかキヤノンが思い浮かぶことだろう。2社の一眼レフカメラには,報道用をはじめとしてプロの要求にこたえられる「超高級モデル」がラインアップされてきた。ニコンでは「F一桁シリーズ」とよばれるもの,キヤノンでは「F-1シリーズ」あるいは「EOS-1シリーズ」として知られてきた。
ニコンやキヤノンは,超高級モデルだけではなく,普及価格帯のモデルも発売してきた。おおむね,「超高級モデル」「上級モデル」「中級モデル」「エントリーモデル」くらいに区分できる。1つの傾向として,上級モデルあたりにあたらしい技術や機能が盛りこまれ,その後に超高級モデルやエントリーモデルにも取り入れられるような動きがある。
1992年に発売された,Canon EOS5は,上級モデルとして区分される機種である。シャッター速度は最高1/8000秒,フラッシュ同調速度は1/200秒であり,秒間5コマの高速ワインダーを内蔵するなど,当時の超高級モデルEOS-1に匹敵するような高い性能をもっていた。さらに,オートフォーカスのポイントが5点あり,そのポイントを見つめることでそこにピントがあう「視線入力」というあたらしい機能が搭載されている。
そのような,実用的かつおもしろい機種を入手していたのだが,残念ながら有効な使い道がない。私がおもに使うカメラは,ニコンの一眼レフカメラである。マミヤZE(2016年5月20日の日記を参照)やフジカAX(2015年4月19日の日記を参照)のような,あまり知られていないメーカーの一眼レフカメラであれば,物珍しさから「使ってみよう」という気にもなるが,キヤノンのEOSにはそのような珍しさはない。EOSで普及モデルのレンズを使うかぎりは,ふつうにきれいに写るのがあたりまえなので,「どんな写りをするのだろうか」という楽しみもない。私がもっていなかったタイプの18mm〜35mmというズームレンズを入手したときには,EOSを積極的に使ったこともあった。だが,そのようなレンズに似合うボディは,Canon EOS5のような上級モデルではなく,コンパクトで軽量なCanon EOS kissだと思う(2013年10月14日の日記を参照)。ともあれこれまで,私が入手したCanon EOS5は,出番に恵まれなかったのである。
だが,ついにCanon EOS5にも出番がめぐってきた。
マミヤZEのレンズを,キヤノンEOSで使うためのマウントアダプタのおかげである(2016年6月22日の日記を参照)。マミヤZEシリーズの接写用レンズ,Mamiya-sekor Macro E 50mm F3.5との組みあわせで,使ってみよう。このマウントアダプタは,およそ1.5倍のテレコンバータになっているので,いわゆる中望遠マクロレンズとして使えることになる。接写をするならエントリーモデルのCanon EOS kissではなく,少しでもファインダーの質がよいと期待できる上級モデルのCanon EOS5を使いたくなるのだ。
春に花を咲かせるクレマチスには,花が咲いたあとに枝を思いっきり剪定すると,ふたたび枝を伸ばして,初夏にも花を咲かせるものがある。剪定のタイミングがよくないのか,初夏に咲く花はやや小ぶりであるが,接写するならあまり大きくなくても大丈夫だ(笑)。
Canon EOS5, Mamiya-sekor Macro E 50mm F3.5 + FOTODIOX PRO ZE-EOS, ACROS
この夏も花はあまり大きくならないが,つぼみはたくさんついてくれた。
Canon EOS5, Mamiya-sekor Macro E 50mm F3.5 + FOTODIOX PRO ZE-EOS, ACROS
このレンズには,どちらかというと固い描写をする印象をもっていたのだが,マウントアダプタのテレコンバータのせいか,やや甘くなっているように感じる。
Canon EOS5, Mamiya-sekor Macro E 50mm F3.5 + FOTODIOX PRO ZE-EOS, ACROS
Canon EOS5は,たしかに上級モデルである。Mamiya ZE-2にくらべて,はるかに使い心地がよい。AEは信頼できそうだし,故障しそうな心配もない(笑)。だが,そこまでして,キヤノンEOSのボディでマミヤセコールEレンズを使う意味があるのか,というと,やや疑問に感じてきた。
マミヤセコールEレンズを,キヤノンEOSで使う,もっと強い理由づけはないだろうか。
まずい,ディジタル一眼レフカメラのEOSがほしくなってきたぞ。初代EOS kiss Digitalでいいから(笑)。
いや,なにか間違っている。こんな発想は,根本的に間違っているに違いない。
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