撮影日記


2023年03月01日(水) 天気:晴のち曇のち雨

「ビクトリー」カメラの謎

おもに木製で,レンズを取りつける前枠とフィルムなどをセットする後枠とが蛇腹でつながれていて,使わないときは折りたたんでおけるタイプのカメラは,組立暗箱とよばれる。「暗箱」は光の入らない箱を示し,撮影のときに前枠と後枠を起こす動作を「組立」と表現しているわけである。

タチハラの「組立暗箱」をたたんだ状態と撮影できるように組み立てた状態。

組立暗箱は,大判カメラとしては小型軽量なカメラになる。日本製の組立暗箱としては,たとえばタチハラやナガオカの製品がよく知られている。これらは,21世紀にはいっても製造,販売がされていた。
 組立暗箱は,明治時代くらいから見られる。「携帯暗箱」「野外暗箱」などと表現される場合もある。古い製品としては,小西六(後のコニカミノルタにつながる),浅沼(KINGブランドの写真用品商として現在も存続),藤本(後にLUCKYブランドの引伸機が有名になる)などの名前で発売されたものもあるが,現在,中古カメラとして流通する製品には無銘のものも少なくない。無銘の組立暗箱には,それがいつごろの製品なのかを知る手掛かりがない。また,なんらかの銘板があっても,そのブランドが現在に引き継がれていないと,いつごろ,どこで製造されたのかが結局はわからない。よく見かける「Okuhara Camera, Osaka」という銘板のカメラが,大阪市住吉区我孫子東で昭和30年ごろから昭和50年ごろまで活動していた工場によるものらしいことにたどり着くにも,それなりの手間がかかったものである(2022年9月29日の日記を参照)。

「Okuhara Camera」の場所と活動期間を絞り込むには,各年度の電話帳と住宅地図を参照する必要があった。

一昨年に入手した「VICTORY」という銘のついている組立暗箱も,いつごろの製品なのかなど,その正体がよくわからない組立暗箱である(2020年6月20日の日記を参照)。この組立暗箱は前枠の形状に大きな特徴がある。前枠を固定するネジは,左右に2箇所ずつある。1つは前枠を起こして底板に対して垂直に固定するためのもの,もう1つは前枠の高さを調整するためのものである。大きくは2つに分類でき,1つはタチハラのように前枠の側面に並んでいるもの,もう1つは前枠の高さを調整するためのネジが前面にあるものとなる。「VICTORY」は前面にネジがあるタイプだが,そのネジの位置と,高さを調整して固定するしくみとが,よくある組立暗箱と異なった,特徴あるものになっている。
 この「VICTORY」にはそのほかにも,本体の角度を変えられる「傾斜雲台」になっているという大きな特徴がある。この種の組立暗箱は本来,底板の金具に直接,3本を脚を取りつけて使うようになっている。現代の三脚のような3ウェイ雲台や自由雲台などのように,カメラの角度を自由に変えることが困難である。そのため,このような前後方向だけでも自由に角度が変えられることは,それなりに重宝した可能性がある。しかし,左右の角度も変えられないのならば,中途半端で意味がないと思われたかもしれない。

「VICTORY」組立暗箱は,前後方向にはカメラの角度を変えられる「傾斜雲台」になっている。

組立暗箱に関する広告を求めて,国立国会図書館デジタルコレクションで昭和初期の雑誌を閲覧した。フォトタイムス社が発行する「フォトタイムス」という雑誌は,1928年8月号から1940年12月号までを閲覧することができる。これはオリエンタル写真工業株式会社が運営するメディアで,1940年12月号の奥付に「発行所 東京市淀橋区西落合二丁目四三〇 オリエンタル写真工業株式会社内 フォトタイムス社」と明記されている(*1)。
 「フォトタイムス」1932年4月号にある「山本写真機店」の広告に,この「VICTORY」と思われる組立暗箱が記載されていた(*2)。そこには,このように書かれている。

 暗函界多年の舊套を破る
 新發賣特許暗函(特許番號二九九五號)
 「ビクトリー」(傾斜雲臺付)
 
 複生藝術に學術用に營業用に娯樂家用に
 これからの暗箱は「ビクトリー」に限る

広告には,製品の画像も掲載されている。残念ながら正面からのものではないので,「VICTORY」の特徴ある前枠の留めかたと同じかどうかの確認はできない。しかし,傾斜雲台の部分の構造はほぼ同じものに思われる。
 広告での表現によれば,この傾斜雲台は特許を取っているらしい。「特許番号二九九五号」の内容を,J-PlatPat(特許情報プラットフォーム)の「特許・実用新案番号照会/OPD」で呼び出すことにする。ところが「特許番号」の「2995」を検索しても,あらわれたのは明治時代の鏡に関するもの(*3)であり,この傾斜雲台とはまったく関係がない。特許というのは,嘘,偽り,ハッタリだろうか。このころは実用新案のことを「新案特許」と称するケースもあるので,実用新案で「2995」の番号がつくものをさがしてみた。
 こういうときにありがちなのは,「公告実用新案番号」を「特許番号」と称しているケースである。1932(昭和7)年の雑誌でアピールしているのだから1932年の1〜2年前くらいに検討をつけてさがしたところ,1930(昭和5)年の2995号(S05-002995)に「傾斜自在写真機」という実用新案出願公告があった(*4)。山本写真機店の広告に載っている画像の構造と,資料に記載されている図の構造はほぼ同じように見えるので,これで間違いないだろう。
 特許が「新規性のある発明」を保護するのに対し,実用新案は「ものの形や構造の工夫」を保護するものである。ここでの実用新案の内容としては,レールの部分をC型の金具ではさんでおり,動かしたらネジで固定するようになっているために,傾斜をつけやすくなっていることを主にしている。また,実用新案出願公告には,この機構のために,高所から真下を見下ろすような撮影も容易になること,組立暗箱本体と傾斜雲台を一体化したことで扱いやすくコンパクトになることのアピールも書かれている。

実用新案に関係すると思われる構造の部分。

この実用新案の出願者は,大阪市内に住所のある「桜井鹿蔵」氏と「広田惣太郎」氏である。
 さらに「フォトタイムス」1933年10月号にある「野木金蔵商店」の広告に,これとよく似た「KN式傾斜雲台」付の組立暗箱が掲載されているのを見つけた。なお,ここでは特許云々はアピールされていない。「自在傾斜写真機」を桜井氏,広田氏が考案し,商品の名前を変えて,山本写真機店や野木金蔵商店から発売されたという構造が想像できる。
 なお,山本写真機店は現在に継続していないようであるが,野木金蔵商店は「株式会社野木」として継続しているようだ。沿革を参照すると「明治10年(1877年) 暗箱式カメラメーカーとして創業」とあり,1933年の「フォトタイムス」に掲載の広告には「製作部」があるとのことなので,野木金蔵商店は昭和になっても「暗箱のメーカー」だったということかもしれない。桜井,広田の両氏がどういう立場にあったのか,もう少し詳しくわかるとおもしろくなりそうである。
 「VICTORY」という銘板のついた組立暗箱が,山本写真機店の「ビクトリー」暗箱と同定できたわけではないが,同時代の製品である可能性は高いと思われる。一方で,当時の法律(第10条)では実用新案の保護期間は10年間(*6)であり,1940年以降に模倣されたものである可能性もある。

*1 「フォトタイムス」1940年12月号 (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1898483/1/65

*2 「フォトタイムス」1932年4月号 (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1898445/1/8

*3 第二九九五號 鏡 (J-PlatPat 特許情報プラットフォーム)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2995/6A89B56A58E807119E627C3111A911E292810ACF4B18F7DDC5EBFCFE86C241B5/15/ja

*4 昭和五年実用新案出願公告第二九九五號 傾斜自在写真機 (J-PlatPat 特許情報プラットフォーム)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S04-020835/52835BC73BF9EB2217D2E700F18D722ACC3EBF1A9C30A07969BBC3B9F021DC42/20/ja

*5 会社案内 (株式会社野木)
https://nogi.co.jp/company/

*6 実用新案法改正 大正十年 法律第九十七号 (国立公文書館デジタルアーカイブ)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_F0000000000000027086


← 前のページ もくじ 次のページ →