撮影日記


2023年04月13日(木) 天気:晴

Okuhara Cameraの組立暗箱はイギリス式

光による像をなんらかの形で固定する方法は,いろいろな人によりいろいろなアプローチが試みられてきたが,「写真」を発明したのはフランスのダゲールということになっている。像を固定する方法と並行して,レンズも発達してきた。そして,暗箱すなわちカメラ本体も発達してきた。ダゲールによる銀板写真の後,湿板,乾板に至る時代には,カメラはおもにイギリスで発展が見られた。はじめのカメラは,ピントをあわせるために入れ子になった箱がスライドするようになっていたが,後にいわゆるテールボード型が生まれ,そして蛇腹でつながれた前枠と後枠を重ねてたためるようにした,いわゆる組立暗箱が形づくられていった。

八つ切サイズの組立暗箱を入手した。セットになっているピント板(バックアダプタ)には,「Okuhara Camera」という銘板がついている。「Okuhara Camera」という銘板は,大阪市住吉区我孫子東5丁目(現在は,苅田9丁目)に1955年ころから1975年ころまで存在した「奥原写真機製作所」の製品をあらわしているのではないかと考えている(2022年9月29日の日記を参照)。

これまで,「Okuhara Camera」の銘板がついたピント板は何種類か入手してきた。

@が,このたび入手した八つ切サイズの組立暗箱(八つ切サイズのピント板付き)である。
 A〜Cは以前に入手していたもので,いずれも八つ切組立暗箱用のピント板である。Aは四つ切1/2サイズ,BとCはカビネサイズのものである。BとCは角張っているか丸くなっているかなど,微妙に形が違う。これは,製造時期の違いなどを反映しているのかもしれない。ただ,どちらが古いモデルでどちらが新しいモデルなのかは,わからない。

形状のほか,色にも違いがある。@,B,Cにくらべると,Aはやや明るい色になっている。
 このたび入手した組立暗箱は,銘板のついたピント板と本体とが同じような濃い色のものになっている。本体も「Okuhara Camera」の製品であると思われるものを入手できたのは,これがはじめてである。また,入手時にセットになっていた三脚(2023年3月31日の日記を参照)も同じような色なので,これらは1つのセットになっていたものと思われる。

いろいろな組立暗箱を見比べてみると,どれも同じようでいて構造が少しずつ違っていることに気がつく。
 そこで,以前からうちにある無銘の組立暗箱と並べてみたところ,前枠の構造が全体に似ているような気がした。

具体的には,@前枠の根元の蝶番の使い方,A前枠内側のスライダの留め金具などが同じようなものになっていること,Bほぞ穴を掘ってはめこむようになっていること,という点がある。これらの組立暗箱は,製造元あるいは部品の供給元に共通するものがあるのかもしれないし,ある種の「流儀」のようなものが共通しているのかもしれない。

「カメラレビュー増刊 クラシックカメラ専科(創刊号,第1号)」(朝日ソノラマ,1978年)に「イギリスカメラの興亡」という記事がある。その記事によると,写真がフランスで発明されたのちに,カメラはイギリスで発達したとしている。そして,イギリス式とされる組立暗箱と同じようなものが日本でもつくられるようになった,という内容の表現が使われている。そこに掲載されているイギリス製組立暗箱の画像を見るかぎりでは,前枠の構造はこのたび入手した「Okuhara Camera」とかなり似ているように見える。もしかすると「Okuhara Camera」は,イギリス式の組立暗箱の「流儀」を,1970年代になってまで色濃く受け継いできたものの1つである,ということになるのかもしれない。組立暗箱を分類するとき,これにどれくらい似ているか,どれくらい違っているかを考えるのが,1つの基準として使えそうである。


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